ウエディング用語辞典

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和装

髪型

かつら合わせ

和装用のかつらを実際につけてみること。かつらが自分の頭の形にぴったり合うかと、自分の顔立ちに似合う、鬢(びん)の張り具合や髷(まげ)の高さを確認する。当たって痛いところや、引っ張られるところがあれば直してくれる。かつら合わせは挙式の1〜2週間前に行う。髪を切ったりパーマをかける予定があるなら、かつら合わせの前に済ませておくと良い。

簪(かんざし)

簪(かんざし)とは、着物を着たときに髪に挿す飾りの一つ。古代には髪に生花を挿し、これを挿頭花(かざし)と呼んでいた。奈良・平安時代には釵子(さいし)といい金、銀、銅などの棒を折曲げた二本足のものとなる。鎌倉・室町時代になるにつれ女性の髪かざりとして発展し、江戸時代に日本髪結びが複雑になるに合わせて、より装飾的なものとなっていく。「かみさし」がなまってかんざしとなったという説がある。

簪のことを笄(こうがい)とも呼ぶ場合があるが、実は別のものである。簪は笄に耳掻きをつけたものが源流とされる。白無垢の時はべっこうの簪、色打掛では華やかなさんごに真珠や金の細工がされたものなどがよく使われる。

笄(こうがい)

笄(こうがい)とは、髪に挿す飾りのこと。細長い棒状で、両端もしくは片端を長方形に少し太くしたような形をしているのが一般的。先方の尖っている笄はかゆい時に髪を掻く「髪掻(かみかき)」から派生したもの。武士は普段は脇差の鞘に挿しており、主に頭を掻いたり櫛の代わりに用いた。

また民族的にみると、女性にとっては、笄をさすことは大人の女性の証であるとされていた。主な挿し方は2種類あり、髪をまきつけ水平に挿し、乱れた髪を整える道具として用いられたケースと、江戸時代以降、装飾的に利用されたケースがあげられる。材料も竹、鯨のひげ、べっこうなどが使われ、蒔絵(まきえ)を施すなど装飾性の高いものになっていく。 挙式時の白無垢には気品のあるべっこう製のもの、色打掛では華やかな珊瑚や真珠製のものがよく用いられる。

角隠し

角隠し(つのかくし)とは、花嫁の文金高島田の髪の上に被る帯状の白い布。袷仕立ての長方形の白絹を髪に留られるようにしたもの。髪を結っていてもすっぽりと額ほどまで覆いかぶさる大きさ。挙式・披露宴で白無垢、色内掛を着用の際に使われる。綿帽子は袷仕立ての白絹を袋状に仕立てたもの。

【角隠しの由来】
角隠しの由来には数多くの説ある。

  • 角隠しには「角を隠して夫に従順に従う」という意味が込められている。 その昔、女は嫉妬に狂うと角が生え鬼になる、という言い伝えがあり、鬼になるのを防ぐおまじないとしてお寺に参る際に角隠しをかぶったことが由来とされる説。
  • 昔、宮中に仕える女性が髪の毛を長い布で包み上げ、前で結んでいた巻き方を「桂巻き」と呼び、その女性たちの事を「桂女(かつらめ)」と呼んでいた。桂女はいわゆる巫女のような存在で、祝い事などがあると出向いて行き、祝い言を述べたり、お祓いなどをしていた。また、位の高い人が行う「結婚の儀」の際にもお供として付いて行った。後に結婚式を挙げる側の女性が被る衣装となっていったとされる説。
  • 神に仕える聖女は白ずくめの装束で、角隠しもその一つとして考えられ、結婚式でも神を祭る際にこれを着用したという説。
  • 結婚する相手以外に顔を見せないという習慣によるもの。
  • 昔、女性が外出する際にほこりよけとして髪を覆ったものが花嫁衣裳にも取り入れられたとされる説。
  • 髪の毛の不浄を隠すためにつけたもの。長い髪の毛には霊力が宿ると考えられており、新しい家に嫁ぐ際に災いを一緒に持ち込まないようにとされたもの。
  • 元々「角」という言葉には古代の子供の髪型の「あげまき」という結髪をさす意味がある。情勢の結髪が室町後期から安土桃山時代にかけて定着したときに結髪と角の関係も受け継がれたと考えられる。これが現代に受け継がれて角隠しの由来になった説。
  • 角の字には「額(ひたい)の骨」の意味があり、頭部にかぶる白い布が「額を隠す」様子から角隠しと呼ばれたという説。
  • 「角」とは顔の「すみ」のことで、髪の生え際を隠すことから「すみかくし」と呼ばれていたものが角隠しに変わったという説。

【角隠しの歴史】
室町後期から安土桃山時代にかけての武家婦人の外出着に、小袖を頭から被って着る「被衣(かづき)」が現れる。これが角隠しの起源となる。次第に、江戸時代の「綿帽子(わたぼうし)」:真綿で作られたもの、「練帽子(ねりぼうし)」:練絹という精練した絹で作られたもの、幕末頃から明治にかけて「揚帽子(あげぼうし)」:今の角隠し、へと変化していった。

綿帽子

綿帽子(わたぼうし)とは、花嫁が和装婚礼衣裳の白無垢を着る際に、文金高島田を結った頭の上にやや深めに被る白い布。髪を結っていてもすっぽりと額ほどまで覆いかぶさる大きさ。袷(あわせ)仕立ての白絹を袋状に仕立てて被れるようにしたもので、角隠しは同じく袷仕立ての長方形の白絹を髪に留めつけられるようにしたもの。暑い季節には涼しげな生地で仕立てたものを用いることもある。

綿帽子と角隠しは同様に着用され、格の上下は無いが、綿帽子は白無垢のみに着用し、色打掛には用いないのが慣わしである。一方、角隠しは色打掛と本振袖に着用するのが正式だが、白無垢にも着用されることもある。よって一般的に、綿帽子は挙式の時だけ着用し、披露宴では外す。

綿帽子の歴史は、室町後期から安土桃山時代にかけての武家婦人の外出着として、小袖を頭から被って着られていた「被衣(かづき)」が起源。江戸時代になり、真綿で作られた綿帽子が。若い女性に定着していった。元々は外出する際の埃除けや防寒具として用いられていたものだが、ウエディングドレスのベールと同様に「挙式が済むまで、花嫁は新郎以外の人に顔を見られないように」という風習から、婚礼風俗にも取り入られるようになったとされる。その後、練絹という精練した絹で作られた「練帽子(ねりぼうし)」、幕末頃から明治にかけて今の角隠しとなる「揚帽子(あげぼうし)」へと変化していった。

文金高島田

文金高島田(ぶんきんたかしまだ)とは、花嫁が白無垢や打掛を着る際の代表的な日本髪。未婚女性の代表的な髪型で、髷(まげ)を一回縛る島田髷の髷の根を上げて髷を高くし、額の方へ前に出した髪の結い方で、上品で優雅な髪型とされる。

江戸時代には300種類もの髪型があり、文金高島田は元々は武家の若い女性や遊女の髪形であった。次第に花嫁の髪型として用いられるようになり、明治以降には花嫁の正装として定着していった。

文金とは、八代将軍徳川吉宗の時代に貨幣改鋳があり、その時の小判を文金と呼んでいた。男性の結髪様式の1つで髪を高く結うことを「文金風」と呼び、その髷の高さから優雅とされ、次第に女髷にも取り入れられるようになり、文金高島田に発展したとされる。針や楊枝などを髷に入れて高くしたため、針うちとも呼ばれていた。また、嫁ぐ娘のために母親が髪の中に小判を一枚忍ばせ、そのために高く結い上げられたことが文金と呼ばれる髪型の由来とも言われる。

島田髷の由来は諸説ある。1.江戸初期の寛永の頃、京都四条の女歌舞伎役者が始めた説。2.歌舞伎の島田甚吉・万吉の髪型からという説。3.東海道の島田宿の遊女から始まった説。などがある。

尾長

尾長(おなが)とは、和装での鬘の1種で、束ねた髪が後ろに長く下がるもの。『御台所(みだいどころ)』とも呼ばれる。大名のお姫様しか結うことが許されなかったと言われる高貴な髪形。

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【出典:ウエディング用語辞典
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