男性衣裳
和装
紋付・紋服
紋付(もんつき)とは、(1)家紋がついていること、また紋そのもの。(2)家紋をつけた礼装用の和服のこと。紋服ともいう。
単に紋付と言えば、慣用的に男性の和装第一礼装である五つ紋の黒の紋付羽織袴を指す。女性用で紋の付いた着物は、留袖、打掛、色打掛、喪服など細分化された名称に、「紋付の〜」「五つ紋の〜」といった形容詞を合わせて表現することが多い。
紋付には、五つ紋・三つ紋・一つ紋などがある。背紋(背中)・袖紋(両袖)・抱き紋(両胸)の五つ紋が最も格式が高く正式なもので、三つ紋(背紋と袖紋)、一つ紋(背紋のみ)と紋の数が減るにつれて略式になる。染め抜き紋が正式で縫い紋は略式。
紋の起源は平安時代の公家社会で装飾用に用いられてものが始まりとされ、平安末期から鎌倉時代の武士文化の始まりと共に、旗印として紋を作り敵味方を区別する紋章として用いるようになった。また身分や階級を表す意味も含まれるようになる。江戸時代になり泰平の世となって、商人をはじめとする庶民が台頭していくにつれ、江戸時代中期には有力な商人や富農は屋号という形で苗字を名乗るようになり、それに合わせて自分たちの目印として家紋を作るようになる。明治になり封建政治時代が終わると、庶民にも苗字や家紋を持つことが許されるようになる。
紋付羽織袴
紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)は現代の男性の和装第一礼装。結納や結婚式、葬儀、式典などの冠婚葬祭で用いられる。紋付と省略されたり、紋服とも呼ばれる。
黒染めの起源は10世紀頃に遡り、黒紋付染として確立したのは江戸時代初期と見られている。この頃の羽織袴は武家の日常着であり、正装は裃(かみしも)だった。紋付羽織袴は江戸中期には次第に下級武士や町人の礼装として扱われていく。幕末には紋付羽織袴は武家の公服(公の場に着ていく服)、準礼装となる。明治維新の太政官令の勲章着用規定によって裃が廃され、男子の第一種礼装として紋付羽織袴を用いることが定められたことから、一般の礼服として広く普及していった。
■紋付羽織袴の正式な着方
- 羽織: 黒羽二重(はぶたえ:縦糸に細い2本の糸を用いて平織りで織られた絹織物。)
- 羽織紐: 白の平打ちまたは丸組みの紐を、房を上にして鳩尾の前で結ぶ殿様結び(大名結び)で仕上げる。花結びなどは略礼装。
- 長着: 黒羽二重。羽織とともに季節により変わり、秋冬春は袷(あわせ)、6月9月は単衣(ひとえ)を、7月8月の盛夏には絽や紗の生地を用いる。
- 紋: 羽織、長着ともに背紋(背中)・袖紋(両袖)・抱き紋(両胸)の五つ紋。三つ紋(背紋と袖紋)、一つ紋(背紋のみ)の順に簡略となる。染め抜き紋が正式で縫い紋は略式。
- 袴: 仙台平(せんだいたいら)の生地で黒もしくは茶色の縦縞柄の馬乗袴。行灯袴でも可。
- 帯: 角帯
- 足袋: 白足袋
- 履物: 畳表の草履。慶事は白鼻緒、弔事は黒鼻緒。
- 扇子: 白扇(末広)
五つ紋服
五つ紋服は男性の和装の正礼装。最も格式が高い装い。染抜日向紋(そめぬきひなたもん)の五つ紋(家紋を五箇所に黒地に白く染め抜いたもの)付の黒羽二重の着物・羽織に仙台平の袴を合わせる。背紋一、前身頃の抱き紋二、両後ろ袖に紋二の染め抜きの五ヶ所に家紋が入る。手には末広(扇子)、足には畳表の草履を履くのが正式。貸衣装の場合は、紋の部分がシールのように張り替えられるようになっており、印刷した家紋を着物に貼りつけて対応する。
女性の留袖にも同様に五つ紋の家紋が入るが、五つ紋服というと男性の正礼装を指す。